低コスト生活とちょっとした配当で暮らせているから、労働意欲はほぼない。
まあ、世間との相対的な消費度で言うと生活保護の半分くらいで暮らしているわけだから、凄まじい節約と思われるかもしれない。
しかし、現役時代とそこまで娯楽の質に差もないし、消費満足度は変わらないし、あまり我慢もしていない。振り返ると無駄な消費が多い方だったのもある。
貧乏セミリタイアしている人はだいたい年100万位で暮らせている人が多いし、そういう人ならわかると思うけど、テレビの節約生活に出てくるような不健康や不便な他人に目立つ格好の悪い効率度外視の節約は一切していないと思う。
時間と労力と気力の無駄だから。
効率を極めてしまったのかもしれない。
というわけで、資産のストックは少ないが今のところは最低限の生活費は入ってきているし、生活上の不満もないのでお金に対する渇望が無い。
でも、将来の不安がとか他人の資産と比べて少ないとかそういうことを焚き付ければ最低賃金レベルの賃労働をしなきゃと一瞬不安が湧いてくる事もあったが、実際に働いて普通の労働者がやっている朝早くから一日の大半を労働に捧げる日を迎えようとは思えない。
どうしても拒否反応が出る。
もちろん仕事を辞めた当初の計画では生活費の半分は賃労働なりをするつもりだったが、自分の気持ちには逆らえない。
せいぜい、週1,2くらいでぼんやりしていられるか、何か意味を感じるものならやれるかもしれない。
外で働くとしても、週1,2くらいで個別指導の塾講師とか夜間の施設内警備とかそういうライトなのは思い浮かぶくらいかな。10年弱のブランクがあって雇われるとは思えないけど(笑)
まあ、気が向いたときに自分が価値を感じられることで人が喜んで対価にお金をくれるような事が何かできればいいのかなとは思う。
何か良いことをしたらお返しが来るだろう、自分が嫌ではなくてそういうことが出来るまでは何も対価はなくてもいいと割り切ってやっていくくらいでいい。
未来に対する漠然とした不安みたいなものからやりたくもないことをする、売りたくない時間を売る、そういう気分にはなれないのだ。
きっと未来の人は自動化で一部の大企業や公共部門以外の仕事が無くなっていって、大多数にBIが支給されて、皆が自己満足のために趣味的にやるサービスでお互いが自営的な対価をもらうような世界になるんじゃないかと勝手に思っている。
お金もさほど無いけど、半ば強制的に仕事を選びに行かなきゃいけないわけでもない、そんなセミリタイアもどきな人達が未来の先を行っているような気がするのだ。
だから自分のやりたいようにやっていこうと思う。