会社目線、会社人間の根性論や人格軽視が苦手だった

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極端な会社目線の人間って居ますよね。
特に地位が上がっていくほどその傾向が強くなります。

会社と従業員の根本的な違いは、
会社は人を使い捨てても存続できるけど、従業員の自分の体は一つしかないということです。

会社存続を第一に考えた目線で考えると効率第一で、
従業員の労働環境から受けるストレスや、労働時間による消耗なんて外部的な圧力がなければ比較的些細なことです。

従業員が嫌なら辞めても、消耗して死んでも、代わりはいくらでもいる。
再教育に多少は時間がかかるけれど些細な事と判断されるでしょう。
従業員の目線でみると、健康は壊れたらなかなか回復しないし、死んだらそこで終わりです。

忘れがちですが私たちは限りある自分の身体を第一に考えないといけません。
労働時間も労働環境も身体に負担がない形にしないと、長期的に考えると疲労感に満ちた生活や早死が待っています。

会社が潰れたら終わりという考えに陥る人が会社に多ければ多いほど、
会社目線の根性論が横行し過労死に対して歯止めが効かなくなるんだと思います。

会社に依存せずいつでも自分の安全のために逃げ出せる選択肢が無いのなら、良い状態で働いているとはいえないと思います。

以前のITブラック職場で横行していた会社目線の社畜化した人間達(取引先、上司)の無茶な要求(短納期やサビ残や長時間労働)は人間って立場さえ強ければここまで冷酷に人の健康や痛みに無関心になれるんだなという強烈な記憶を植え付けてくれました。

当時はプロなんだからなんとかしなきゃという気持ちがありましたが、やはり多くの労働者が寝る間も十分に与えられないような状態を前提としたスケジュールが決定される状況というのは異常な世界だったと思います。

新人への不当な要求やイビリ、心身を壊して休みがち人への村八分的な扱い、サビ残自慢と相互監視、他人のミスを大声で聞こえよがしに説教する声、仲間のはずなのになぜか監視しあっている状況。

身体を壊したものが居ても「体力が無いだけ、根性が足りない、気のせい、会社のせいじゃない、どこでも同じ」と言って全く管理能力についての反省のない管理職。

そういう人たちのいる世界で、また働けるだろうか。

モラハラやパワハラを行う人は、一個人一個人に応対する態度として恥ずかしくないかを自問している人はどれだけいるだろうか。その姿は家族に見せられるものだろうか?

最後のプロジェクトチームが最悪だっただけで、まともなチームはもちろんあったのだけど、直近の記憶というのはとにかく誇張されがちではあり、嫌な記憶がなかなか消えない。

できることは、ストレスの多そうな場所を避けていくしか無いんだろうなと思う。。

長時間労働あるところに悪い人間関係ありだと思っています。

人や組織はそう簡単には変わらないので、仕方がないと諦めずに環境をいろいろ変えてみて、自分で道を作っていく気持ちを持つことが大事だと思います。

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