未来を信じられない症候群

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完全に独り言記事です。(いつもだけど。)

数ヶ月先、数年先に向けて勉強して積み上げるということが、もう出来なくなってしまった気がする。

何年先のポジションを夢見て会社員をやっている人が多数だと思うが、どうやって数年先の自分を説得しているのだろう。

学生時代はとりあえず普通教徒として普通に生きるためには脱線したら人生終わりという与えられた恐怖感から卒業に向けて思考停止できていたけれど。

割と同年代の無職の知り合いがせっせと朝から職業訓練に通い、資格を取り、再就職の面接にということをこなしているけれど。

自分がそういう活動をするイメージが湧かない。
職業訓練で何ヶ月も、専門学校で何年も、専門技術の習得に精を出す姿が想像できない。

まあ、朝から学校通うなんてそもそも朝弱いしなってのはあるけど。それよりも急にめんどくさくなって投げ出したら時間もったいないなとか、そもそも一日の大半を捧げるとか無理だなとか、人間わりとサクッと死ぬしなとか、資産運用の収入とか貯金有るしなとか、そういうことを考えると一所懸命という態度にならないのだと思う。

一所懸命が良いとか、そうなりたいという話ではないのだけど、なんか普通人としての一機能が欠損したみたいな感じが少し寂しい。

そういう性質を持ってしまった自分にはもう会社員は務まらない気がする。

意識高い日本社会では、何年後こんなポジションになっていたいとか、そういうストーリーが要求される。

もちろん表層的には演技して凌ぐことは可能だろうけど。それでも自分のすべてを捧げるというか存在価値をかけてという熱意はなく、消耗せずに多少の価値を生み出してお金を稼げれば満足という仕事に対する基本的な態度は、多くを捧げている人間からは透けて見えてしまい不公平感が敵意に変わるのは想像に難くない(実際に排除に動くのはブラック会社くらいだろうけど)。

新卒入社後の数年間はプログラマーやシステムエンジニアとして結構ブラックな環境だったけど、仕事や技術そのものを理解するのは楽しかったものだ。
あの感情はもう戻らないのかなあと思うことは有る。
小さな達成感をゲームで代替しているのだろうし、それがお手軽ってのはあるんだけど。

もしこれから会社勤めをするとしても、日本の組織の大半を占める軍隊・体育会寄りの時間もエネルギーもすべてを捧げろ系の組織は向いていないから、情緒的な関係が必要とされずになにかコツコツ研究して成果をだす仕事が向いているのだろうとは思う。

そんな仕事あるかなあとなるとそれなりに専門知識が要求されて、勉強期間が必要となり、それをこなすには先に書いた未来を信じるというパワーというか信仰のようなものが必要となるわけです。あああ。

まあ、思いつめても仕方ないし、今やれてることを棚卸ししようと視点を移すと、無職期間数年の中で唯一続けられているお金稼ぎは株式投資で、それに付随する企業の決算整理やニュースチェックは続けられている。

なので、基本線は投資で稼ぐ、それでついでに一度頓挫した投資ネタブログをコツコツ続けるあたりができそうなところかなあ。

あとは帰属をそこまで求められない単発系バイトや短期派遣ということになるだろうか。

それとも新たな収入の道を敷く視点にたって、自分の趣味の分野で別にアフィサイトを立ち上げるほうが見込みがあるかなあ?

取り組んでいる時間が嫌にならない程度に向いていて、人の役に立つレベルの少しの専門性があって、生活の大半を占有してしまうほどの負担感がない事を探せたら良いのだけど。

こうやって書いてみると、冒頭の性質で問題として現れてくるのはお金を稼ぐ事が難しいってことになるのだろうか。

やっぱお金かよってため息が聞こえてそうですが、承認欲求がさほど強くない(ブログをかくわけだから無いわけじゃないけど、近すぎると疲れるって話)人はお金が多少あればあとはのんびり暮せば割と満足出来るんじゃないかと思う。

なんか話が、未来を信じて努力できない→職業選択の話→どうやって稼ぐかみたいに移った気がするが、独り言なのでこんなもんです。

それでは。

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