SNSと安住の地

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フクロウのようにぼんやりしてたい。まあ、基本1日の大半は音楽聴いてほけーっとしてる。先日ひさしぶりに酒を飲んだが酒と音楽の組み合わせもいいなと気がついた。

気持ちが閉じてくると、あらゆる情報にうんざりしてくる。

ニュースもどうでもいい、誰にも会う気も話す気にもならないし、ブログ書いたり読む意欲が0になるし、ツイッターもなぜアカウントを作ったんだろうかというほど嫌になり全部ミュートしてしまいたくなる。

やっぱり人の負の感情を受け取るのめんどいからツイッターは基本ミュートが正解でたまに見に行くくらいが自分にはいいのかもと思い始めている。

実生活でも気の合う人や家族でも長時間同じ空間に一緒に居たらストレスが溜まって小さな事が気になって嫌になるし(無意識的なストレスが先行して嫌じゃないことでも嫌になる)、それと同じでSNSにも衝立は合ったほうが平和なんじゃね。

その点ブログは見たいときだけ見に行けるからいいよね。
まあ、ブログもブログ村で新しいの探しても皆似たような事書いてて金太郎飴みたいな印象もあるから特定の人のブログしか見てない。

あとは普段の生活でブログやツイッターのネタのために行動が影響されないように生活したい。

写真はたまに撮るけど好きで撮っているわけで、これがツイッターのためとかブログのためとか思うと嫌になるだろう。

消費や旅行もブログのネタになるな(しなきゃ)とか世間の価値観的に見栄えがいいネタを書きたい(書かなきゃ)だとかが目的になってしまうと味気無い義務感に覆われてしまうだろう。

ブログは書きたいときにしか書くつもりはない。書いて楽しいネタを書きたいときに書く、そうじゃなければ会社員時代みたいに義務感で作業することになってしまうから。何のために自由を手に入れたんだかわかんなくなる。

自分は人に羨まれそうな幸せかどうかはどうでもよくて、自分が見つけた幸せを大事にしたいからわりと世間から見れば下らないだろうことを書くことが多いけど、他の人は似た価値観の人を引き寄せるツイッターでさえも前者の割合(人に羨まれそうかどうかや自分が優れた位置にいるか)が多いのかなという印象がある。

外と断絶している自分から見るとだけどね。

小奇麗でおしゃれな店も好きだけど、散歩してこういう時代から隔絶された喫茶店を見つけるとなんか懐かしくて癒やされる。入らなかったけど、ボサーっとしててもほっといてくれそう。新丸子にて。

別にそういうネタを書きたい人は書けばいいし、そういうことに楽しみを持っている人を非難するつもりはないんだけど。ただ無理に自分が受け取り続ける必要もないかなあと。

そういう感じでネットと断絶するとやはり静寂は心地いい。

こういう記事を書いているが特段嫌な出来事が有ったわけではない。

ただ、小さな負の感情を受け取りやすい性格なのです。

やはり自分は閉じているのが基本なんだなとは思う。

自分にとって自然な形で日々を過ごそう。

自分の心の声を観察しながら自由気ままにこの時間と世界を漂っていたい。

外の世界はごくたまに観察するだけで十分なのだ。多分。

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