自己肯定感とは生きてりゃOKということみたいです

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数日前、鋼の自己肯定感という本を読んでいた。

頭の体操になったのでメモついでに感想を記事にしときます。

著者は自己肯定感に関するものを以下の分類としていた。

・自己肯定感(生きてるだけで尊い)

・自己効力感(比較優位、有能)

・自己有用感(貢献)

自己効力感はざっくり有能と書いたけど、地位とか容姿とかもあるみたい。
俺はこれがあるから誇らしい、無いから駄目だというたぐいのものみたいです。
まあ、ネットとかで炎上するのはこの類のネタですね。

次の自己有用感は貢献で、例えば誰かの世話をしてみたされるとか、働いてたり税金払って社会に貢献とかで誇らしいみたいなもののようです。

で、自己肯定感というのはまあ効力感、有用感に左右されずに自分は過去・未来・現在がどうであっても自分を受け入れ寄り添い自分の味方でいる覚悟という事のようです。

まあ、効力感、有用感なくても自分なりになんとか生きていく覚悟さえ持てればいいのかなと自分も思ってますし、自分が意識が死ねば自分にとっての世界が終わる(観測者がいなくなる)わけですから自分は尊いです(笑)

だって独身で無職やってりゃ、地位も有能さもだれにも評価されませんし、仕事もなけりゃ誰かの役にたつことだってほとんどないですからね。
そういう状態に対して物足りないとか申し訳なく思うかどうかが、この自己肯定感とその他を切り離せているかどうかなのかなと思います。

お金がなんとかなれば自己肯定感があるので、別に有能でも貢献できなくてもいいですという感じなので自分はかなり自己肯定感があるのかもと思います。
逆に自己肯定感を低めにしとけば欠乏感から消費を煽ったり、貢献を煽って社会の歯車としては使いやすいですね。(斜に構えた見方をしてしまうw)

でも、効力感や有用感を完全に無くすことって無理だとも思う。

仕事してたら有能であることのほうが有利だし、恋愛とかで競って良いパートナー得たりには有能であることは大事ですからね。
つまり生存や生殖に有利になるために重要なパラメータなわけです。
比較して優位を求めるのは本能だと思うし、サルにバナナを与える実験でも差をつけたら怒るくらいですから生存本能に刻まれている価値基準だと思う。
有用感についても互恵関係で社会的な生活でこれまで生き延びてきた人という種に根付いているものだと思う。
ただ、それを自分でコントロールして良い気分で過ごすために飼いならせるかどうかという事だと思う。

ただ、無職でお金に困ってなくてそんなに恋愛脳でもなければ切り離してもいいんじゃないかと思うけど。無職的には。

他人の欠点にあれこれ言ってばかりとかの人はほんとに暇なのか効力感に酔いしれたいのか、面倒だからかかわりたくないですね。というか比較の世界は満たされることのない沼ですよ、沼から完全に抜け出すことは無理でもどっぷり浸からない客観視は大事かなと思います。

まあ、でも若い頃は自己効力感(有能)には振り回されたなあ。小さい頃からメガネとか痩せてる体型とか容姿でからかわれたり、コミュニケーション能力が低くて孤立しがちで自己肯定感低めだったし、そのせいでブラック職場で頑張ってメンタルを病むという結果になったわけだしね。。
今の感覚ならあんなブラックな働き方即やめて条件いいとこ探してると思う。

そんなわけで、どのくらい信ぴょう性のあるネタなのかはわかりませんが、自分的には理解しやすかったので記事にしてみました。

特に無職で孤独なおっさんには”自己肯定感”は大事だと思います。
世間の評価やら貢献なんて知らんけど俺なりに楽しくやっていくぞって感じ。

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