どこも痛くなければそれなりに上出来なんじゃないか

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登っているのか下っているのか。同じところをぐるぐる回っているような、進んでいるような。揺れ動く心のありようと螺旋階段ってちょっとリンクするかもなんて思ったり。

とりとめのない雑記です。

ここ一月くらい梅雨疲れ、歯痛、夏バテと弱ってたのですが、だいぶ回復してきました。

不調で痛みがあったり熱でだるかったりすると意志力も落ちますし、楽しむ能力も落ちます。

回復してくると痛みがない状態のありがたみを感じますね。

たまに不便な状態にならないと当たり前の良さを忘れてしまうという人間あるあるです。

あと、痛みや不調がある状態だとお金を稼ごうという気持ちや、創作意欲や生きがい探し的な意欲は0になるので、労働意欲と自己実現ってのは自分にとってはなくてもいい贅沢品なんだなといつもながら思います。

ブログも半月以上放置してましたし。

まあ、ありがたみを感じたところでヒトとして生存確率が上がるわけではないので、すでに持っているものの有り難みを感じるようには進化してこなかったんでしょうね。手にしている幸福を振り返って何度も感じるために人は生き延びて来たわけじゃなくて、貪欲に資源を獲得するようにもっともっとと上の生活を目指す個体が生き残ったわけでしょうから。

私は感情を生き残るための道具みたいに見る癖がありますが、自由意志も0ではないとは思うけどね。今、自分は好きな音楽聞いてぼんやり過ごしてますが、こんな活動はいかにも意味らしい意味がない人間的な活動って気がするし。音楽による快に依存しているといえばそうなんだけど。まあ、ケミカルな娯楽(酒、タバコなど)は全然良さを感じない体質なので、音楽で満たされる生まれつきで助かってるなとは思う。

そういえば、札幌への引っ越しも考えてたけど、夏に慣れてきたのと、どこに行っても自分がこれまでの自分である限り結局引きこもって暮らすだろうからそんなに変わらなくないか?という気がしてきてあまり急がなくていいかなという感じになってます。

具体的に検討すると引っ越しして家具家電を買い直しがそれなりに必要で、必要なものを移動したり賃貸契約ではそれなりにコストもかかるし、費用を稼ぐための労働を考えると夏と冬の不快を交換するだけの移住がそれに釣り合うかなあ?という感じがしてくる。
家族と同居とか仕事の都合でとかそういう暮らしに変化を及ぼす要因があればまた違うのだろうけど、引きこもり先を変えることにそこまで意味はあるのかなあという気がしてきた。

ちょっと脱線しましたね。

つまり言いたいことは、今の暮らしは結構気に入っているってことでしょうね。
今得られている良い面は視界から外して、細かい改善点を探すのが人間の性ですが。

それなりに時間の余裕があって、痛みや不調に意欲を大きく奪われないで過ごせて、栄養や楽しみを考えて食べられていて、多少は娯楽にかけるお金があれば、それ以上求める先は余力があればお好みでやってみたらって感じがしています。

そういえば、幸福度を上げるテクニックとして”感謝”を取り入れろとどこかで見たような気がします。

関連したツイート↓もついでに。

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