働かないことがあたりまえになるということ

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ずいぶん労働から離れています。

そして、「働きたい」という感覚は沸いてきません。

現状、毎月家計簿を見ていただけるとわかるように、

毎月預金残高が減る一方なので、投資で大当たりをするか、なんらかの収入を得るか、節約を頑張らなければ遠くない将来には破綻する状態です。

でも、働かないぬるま湯生活が当たり前になると、動くのはめんどくさいんですよ。

節約するのも半分労働みたいなものですから、怠け者な私は節約さえもサボりだしています。

私の能力を社会に少しは還元できたら良いかなと「承認欲求のかけら」がぼんやりとあるにはあるのですが、眠ったままです。

それは、「しなきゃならん事」ではないですし、「気が向いたときにやれたらいいね」くらいのものです。

義務とかそういうのは、テンションが落ちます。

働くことに対する感覚としては、「人生に重りをつける」という感覚です。

一日10時間働き、通勤に往復2時間かけていた時期は、
仕事と食事入浴寝るくらいしかできていませんでした。

しかも寝不足で、土日も休日出勤や寝だめだったり家事で潰れ、来週の仕事で不安になったりもするような仕事に支配された生活でした。

体力的に仕事に向いていない人間なのかもしれません。

仕事をコントロールして定時帰りのときには、自炊をしたり、家でくつろいだりの時間が少し作れてはいたのですが、時間に対する渇望や一日仕事で終えた疲労感は定時帰りであっても結構重かったと思います。

仕事がなくなったら幸せかと言われると、相対的には幸せになったけど、毎日幸せがこみ上げてくるようなものではありません。

ただ、会社員時代と比較すると随分マシになったというだけです。

会社員時代と比較すると、例えば「わんこそば」をひたすら競って食べ続けなきゃいけないような、うんざりした感じがなくなるだけです。

一通り食べ終わったらヤジがとんできて、すぐに次のわんこそば(=仕事)が待っていて、でも、おなか一杯(=疲れている)、でも制限時間(=納期)までには食べなきゃいけない。でも、よく噛んでいない(=仕事の質に対する時間不足)から、どんどんきつくなっていくみたいな。

そして、その生活にうんざりして、すべてぶちまけてリバースしてすっきりするというのが、リタイア生活という感覚です。(乱暴すぎるか)

リタイア無職生活の良い点は、

・仕事の時間に追われているという感覚からは解放されたこと

・自分の人生(時間)を盗まれている、安売りしているという焦燥感から解放されたこと

・時間がなくてできなかった遊び(ゲームや旅行など)はかなり容易に実現できること

ぱっと思いつくことはこの3点ですかね。

さて、仮に労働をするにしても、

「週3、一日8時間、週24時間勤務」くらいが私の理想です。

たとえ給料が倍になっても、「週5、一日10時間、週50時間勤務」は難しいですね。

また、以前のように何のために生きているのかわからなくなるだけです。

EU圏並みに、1か月の長期休暇が許されたり、残業の上限に対する取り締まりが強化されてほしいものです。

人生の持ち時間に対する配慮というのですかね。

こういう配慮って、有権者の時間に対する感覚次第だと思うのですよ。

そういう声が強ければ、政治家が当選するために頑張りますからね。

日本人って、どっかの統計でみましたが時間よりお金が大好きなんですよね。

だから労働時間や休暇日数に関する改善ってあんまり法案になってないんでしょう。

働いている個人の幸福をそれぞれが尊重するような認識が、個人間で浸透していないと、労働に関する法律も改善しないんじゃないだろうかと思っています。

「1億総活躍」政策で働き方の多様性が改善されると良いのですが、どうなるかは見守るしかありません。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

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