自分はこうなんだというこだわりが薄れてきたのかも

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最近、自分や他人に対してこうあるべきという気持ちが薄れてきつつあるかなと思います。

生活への倦怠感とか、実家暮らしで自分のペースが崩れたとか、そろそろ稼ぐ手段をなんとかしなきゃとか、なんか新しい趣味を見つけたいとか、いろいろ考えていくうちに一旦自分を壊して再構築しなおすように頭が柔らかくなってきたのかも。

こうあるべきというのは、それは哲学だったのか、美学だったのか、傲慢だったのか。
しょせん他人は他人だし、自分だって気分次第でコロコロ変わるしね。
趣味だって飽きたり、見つけたりだし、価値基準も日々変わっていくのかなという気がする。

他人からの実害があればなにかしら意思表示はするけど。期待は基本しないほうが楽だ。

明日ぽっくり死ぬかもしれないし、あれこれこだわって悩むより今日をまあ気楽にやってけばいいやみたいな感じが強くなってきている。

前は自分と真逆の考え方とか趣味とかって自分が否定された気がしてなのか嫌悪感とかあったけど、人それぞれ感じ方が違うのだしそれぞれ楽しく生きてれば害がないよねって感じ。

生活の仕方とかも、面白そうなら取り入れて違う景色を見たほうがいいのかなと思うし、美味しいとこだけ真似っ子して、攻撃はヒョイヒョイかわしてのほほんと生きていきたい。

ブログも、当初はリタイアはかくあるべしとか、お金の節約だのの話とか、会社員生活への嫌悪とか、書いてたけどねぇ(今もたまに書いてるかw)。そういうのはもうありふれててお腹いっぱいだし、ぶっちゃけ無職が長いとそういうのは頭から離れてどうでもよくなるし。

もっと時間的な自由を生かしていろいろやってみた(そしてやらかした)的なことを書いてあとで振り返るために残していけたらと思っているんだけど。
何が言いたい記事かはわからないけど、なんとなく言いたいことは言ったので終わり。

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