不安先行型での行動が多い私です。
とはいえ、会社員をやめて株投資というリスク満載の道を歩み始めています。
不安をあおることで商売にするのはよくあることです。
不安の宝くじといえば保険です。
保険会社は大体掛け金の半分程度を持っていきます。
とはいえ、小さい子を持つ親なんかは病気に対してリスク分散ができるのですからまるっきり悪というわけではありません。
保険を買うよりは、保険会社に投資するか営業員の少ない共済に入るかがリスクに対して無難な判断だと思います。
大赤字の国民健康保険に加入していれば当面は大丈夫でしょうし。
そういえば、世界の大富豪のバフェットは保険会社の掛け金をさらに投資に回すことで驚異的な投資収益を上げたことは有名です。
バフェットは保険(ギャンブル)の胴元で儲かった金をさらに利回りが手堅い企業に投資をして、倍倍で儲けるという単純なロジックで大儲けしたわけですね。
さて、不安の話に戻りましょう。
不安を煽られた人間は気持ちのコントロールが難しくなります。
この辺りはTVメディアなんかが熟知しています。
ニュースが嫌なニュースばかりなのは理由があります。
事故や悲惨な事件の後のほうが無意識的に「生きている今のうちに!」
という反応でスポンサー企業の商品を買いやすくなるという事実があります。
本当は喜ばしい、心がウキウキするようなニュースで埋めてほしいんですけど、
企業はスポンサーCMをくれる企業の売り上げ影響を重視するので。
幸せなニュースだけというのは視聴者のカンパでしか成り立ちません。
その辺はSNSの役割なんでしょうね。
嘘くさい横並び的な”ハッピーアピール合戦”は嫌ですが。
死ぬ系の感動映画が多いのはこの辺も関係しますね。
この辺りは「スタンフォードの自分を変える教室」あたりが詳しいです。
ダイエットや勉強が続かない理由なんかも解説があるので面白いです。ブックオフで探して200円くらいで買えました。
あ、また話がちょっとそれましたね。
私の不安の話でした。
中年以降にもなってくると病気といかないまでも、
健康診断でちょびっと引っかかることがあると思います。
引っかからないように祈ることが多いわけですが、
人によっては不安で気持ちが揺らぐ人もいるでしょう。
血液検査とか尿検査とか嫌ですよね。
先日鼻炎の検査をしたら、スギ花粉のアレルギー値が高くなっていて、
案の定3月はくしゃみに苦しみました。
でも、病気なんてのは
・生活習慣(食生活、睡眠、運動、ストレス)
・環境
・年齢
・遺伝
・運
の要因が大きいと思います。
で、自分が気を付けられるのは生活習慣、環境くらいのものだと思うのですよ。
あ、先日の花粉症はマスクをして空気清浄機ガンガンまわして改善しました。
わかりやすい環境を改善するという作戦ですね。
そもそも、体の各臓器が休まず正常に動いてバランスをとって何十年も生きながらえていること自体が奇跡みたいなものなんですよ。
遺伝子の設計図に従って、臓器を作って、傷ついたらエラー修復とかまでしているわけですよ。
体の仕組みって、知れば知るほど精密で驚きますよね。
腸内細菌とかバクテリアとかその他も共存していて絶妙なバランスで生きているのはすごいことだと思いませんかね。
で、この複雑な奇跡的なバランスで動いている人体というシステムについて、長いこと動かしたらどこか悪くなるのは必然に近いものなのでしょう。
だから、失う怖さばかりに気を取られるよりは、
今まで生きてこれたこと、生きているということが案外奇跡的なことだという
視点でみて、今日あることが奇跡であることと思ったほうが精神的には良いのかもしれないと思っています。
最近はIPS細胞で壊れた臓器を治せるかもしれないとか、若返りの薬ができるかもしれないとか、夢のような話が出てきていますね。
身体が生命を維持しているという奇跡もありますが、
今の地球環境だって、太陽風や火山噴火で激変する恐れがあるわけですしね。
火星、金星の状態を知るとわかりやすいですが。
片や磁場と大気を失い、片や温暖化が進みすぎて重力地獄ですからね。
さて、話を戻しますと”今日生きていることを感謝する”というのは感覚的には難しいことだと思います。
だから、”今ある自分や環境(人間関係や生活環境、社会環境、資源や買えるもの、食べているもの)をゼロベース(原始的環境)と比較して良さを見つめなおそう”とか、”自分がやりたいことに挑戦できる時間があることを楽しもう”とかその程度でよいと思うんですよ。
当たり前と思っていることが案外貴重なものなんだと気付くわけです。
その辺を意識できるようになって、最近は親にちょっと優しくなった気がします。(もともと仲は悪くないです。)
あと、自分のやりたいことをやるといっても、犯罪とか他人の自由を侵害しないのは、自由主義者として大前提ですが。
不安でだめなときは、哲学や宗教は死の不安を乗り越えるための発明ですから、不安に取りつかれたらそういうのに縋り付くのもよいでしょう。
心を許せる人とその辺の不安について深い話をするのも孤独を解消するのに良いかもしれません。
ああ、何が言いたかったんだっけ、、
「不安だ!不安だ!どうしよう!」より、「今生きているってラッキー、何して遊ぼう?」
くらいの気持ちで生きていきたいということです。
未来・将来のために長いスパンで無理矢理な我慢はしたくないですね。
死ぬ前に”もっと自分のしたいことをすれば良かった”とか、”仕事なんてあれほどしなければ良かった”という後悔はしたくないですからね。
リタイア志向の人には”あんなに節約しないで楽しめることには投資すれば良かった”、とか”あんなつまらない会社で我慢して貯金しなければ良かった”とか、”リタイアを重視しすぎず好きな人と家庭を作ってみればよかった”ってもの出てくるかもしれないけど。
自戒を込めて。