行ったことの無いカフェに行って読書をしようなどと意気込んでみたが、大体の時間は空間を眺めて終わってしまった。
ただ、非日常と脳が判断してかいろいろ考え事が浮かんでくるのがいい。
自宅は箱のサイズが小さいし日常だから思考も停滞する感じがするし、多分そうなんだろう。
30代はほとんどダラダラしていたなあとか、これから新しい事をやったり人間関係を作る元気あるかなあとか、ここ3ヶ月位は月8万くらいで生活しているなあとか、自分は本当にこの暮らしを続けていきたいのかなあとか。
今の生活に特に不満はないし、このまま年100万生活を続けて少しバイトでもすればお金の面ではなんとかなる気はする。
ただ、一つ気になることがある。
予算が限られていることで思考を制限する癖が出てきていないだろうか?
虫かごに閉じ込められた虫がいつしか学習してカゴの天井の高さしか飛べなくなるという話を以前読んだ気がするけど、そんな感じで思考にブレーキをかけすぎていないだろうか。
新しく体験を試す事、多少無駄でもいいからと思って面白そうだなと思うことにお金や時間を使ってみることは小さな投資だけど、そういうことにブレーキをかけすぎるのは生活が停滞して危険だと思う。
今年は夏に旅行をしたときは確かに疲れたけど、ひきこもりの穴倉から這い出して、新しい刺激が毎日あって疲れたけど心地よい疲れみたいなものがあったような気もする。(ブログを読み返すと穴倉に戻りたい的な事を書いているから思い出補正だろうけど。)
さて、このあたりの知らぬ間に作っちゃっている思考の制限癖をどうやったら壊せるだろうかという事を考えてみる。
そうするとタイトルの残り時間が1年しか無いならという話になる。
最近よく見かける最後の日(残り1日)だと何をするか?だと出来ることが少なすぎるので、思考を育てる種としては不十分な気がするし、5年とか10年だと長すぎてイメージが難しい。
というわけで、残り1年だと何をするだろうかという視点で日々考えていきたいなと思う。
多分、少し旅行して消費では安くなるまで待ったりしないとか、打算無く正直に生きるくらいだとは思うのだけどなあ。
とりあえず予算100万くらいでやり残しリストでも作ってみるのも面白いかもしれない。
娯楽消費の制約が月1~2万程度という最近の節約制限が頭を支配している面が有るから今すぐアイデアが浮かぶものでもないだろうし。
今の暮らしはしたくないことをしないというベターは満たせているけど、やりたいようにやるというベストは無意識的に封印してしまっている部分があるように思う。
などと考えたので、ここにメモしておく。(読んだ人も隠れた制約癖があれば参考になるかなと思って記事にしてみた。)
やはりお金の制約って大きいと思います。
私なんかつい貧乏脳でマック(100円)と比べてしまうので、ドトール以上のカフェに行くのも躊躇されてしまいます(^-^;
ちょっと違うかもしれませんが、都心の再開発でお洒落になった街並みを見たときに異空間感を感じました。日本橋に先日できた高島屋新館近辺を歩いて思ったことなんですが、世の中は進んでいるなと感じました。
人生の楽しみや喜びは、結局アレコレ経験する中から得られるものだと思うので、お金がない制約で経験できないと言うのは不幸なのかもしれませんね。
でも、お金があっても、お金をかけて経験したい何かが思いつかない事も多いとは思いますが。