今の所、余裕をもって働ける感じの条件では仕事は見当たらないなあというのが正直な感想です。
条件として給与レベル、出勤頻度、出勤時間帯、作業負荷(労働強度)、労働期間、これらを踏まえて自分の基準で割に合うと感じる仕事はネットで探している段階で見当たらなかった。
昼くらいから数時間、週3くらいでデスクワーク的なものがあるといいんだけどな~
楽な仕事なんて中々ないよね~。やっぱり。
アルバイトをいろいろ試してみるというのも頭の片隅にはあるんだけど。
例えばゲーム感覚で面接応募して受かったら先入観なしにとりあえずやってみて向いてなきゃやめるを繰り返すってのも案外人生経験が一気に蓄積されて面白いかもとは思うけど、決まった時間に起きるとかそういうのを考えると面倒臭さが勝っていまいち動けない。(あ、データ入力は試そうとしたけど選考通らかったな。空求人疑惑でもう応募してない。)
そもそも無職が長くなると労働のことを日々の中で思い出すことが難しい。
楽しいニートライフをやっていたら月一の家計簿整理をしていて、今月の労働収入が0だなと気がついて、口座残高の減少とそういえば仕事探しとかしてなかったなと思って少し求人検索して良いのが無ければまた忘れて、次月も似たような反応という感じだ。(最近は意識して週1くらいで探しているが)
だから無職の焦燥感というのはあまり理解出来ないし、精神面ではのんきな性格が幸いしているのかもしれない。
世にありふれている働きたくないという言葉はすでに労働の中に居て次の日の労働が待っているか、または同居人や請求書に煽られるような状況から出る言葉であり、そこそこ貯蓄のある長期無職なら働く事を思い出すことがないから、労働の存在を忘れてしまうというのが実情ではなかろうか。
特に意識に上ることなく働いていない日々が勝手に過ぎていくのだから、大して危機感なんて湧かないものだと思う。
ここまで労働が思考の外に追いやられがちなのは、多分5年近くも株の売買収入だけで暮らせてしまったという実績も影響しているからかも。
実際のところ、リタイア開始時から多少上下はするが資産がほぼ変わらずで維持できているし、今年は運用益が初めてマイナスなんだけど心の奥では自分の賭けはうまくいくだろうと信じきっている。信じているから稼ぐことに真剣になれない。(自虐風自慢?)
もはや、ギャンブル脳なのかもしれない。
少し負けているけど引きが悪いだけさ、本来の実力なら取り戻せる!などという根拠のない自信でパチンコ・競馬等のギャンブルにどっぷり浸かって給与の大半をギャンブルにつぎ込み続ける人たちと同じ頭の構造になってしまったのだろうか。
株の期待値はギャンブルの中では珍しくプラスではあるが。。自分のことながら楽な方に流れる人間の心理的圧力は強いものだと思う。
今年の頭に記事に書いたけど、月の収支を均衡させたほうが精神衛生上良さそうだとは思ってはいたのだけど、株で稼げるという希望と働くことの面倒臭さや時間を失うことの勿体なさが危機感をまだ上回っている。
この関係が逆転するにはそれなりのダメージを負わないと変われないのかもしれない。
株で勝つからダイジョブ。働くなんて消耗激しいし時間が勿体無い。この感覚を打ち壊すほどの株での大負けか好条件の仕事が見つからない限りは労働復帰は先になりそうである。
株が本業、ブログが副業、そんな感じでしばらくいこうかな。
前にも似たようなことを書いたような気がするけど、いいか。
1人暮らしですと支出管理が全部自分の意志で行えるので、(税金等以外)ある程度
運用収益でやっていける目途がたつと労働意欲は消えますよね。
生き残ることに特化すれば生活費はほんとう、家賃込みでも6万円~7万円あればね、、
自分もお手軽な人間でお気に入りの音楽聴きながら公園とか散歩してると幸せ感じるので、セミリタ向きなのかもしれないと思ってます。