貧乏だけど時間のあった学生時代に戻りたかったのかもしれない。

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ふと、先週まとめた記事で、セミリタイア生活での月の収支の規模が学生の頃の収支と似通っていることに気がついた。

家賃や食費、光熱費、娯楽費、それぞれ大体同じくらいだったものだ。

学生の頃は親が結構稼ぎが良くて仕送りをもらってそれで生活していた。

当時の生活は、お金がなくて時間があった。
アルバイトをしてお金を稼ぐよりダラダラ過ごすのが好きだったので、長期の休みで少ししたくらいでほとんどアルバイトはしなかった。

学生時代の消費傾向としては家賃・光熱費・通信費を払って、食費は自炊が基本でたまに安い学食を食べたり、本屋で面白そうな本を買って読んだり、中古のゲームや漫画や好きな音楽CDを買うくらいで十分だった。

家計簿はつけていなかったけど、もともと貯金はさほど無かったので仕送り口座の金額を見ていれば残金が増えるイベントが仕送りしかないので管理は必要なかった。

交際費も家で適当に鍋の材料や肉なんかを持ち寄って酒を割って作って飲んでいればそんなにお金がかからなかったし、特にお金がほしいなあという渇望は無かったと思う。
徹夜の賭けマージャンで100円勝った負けたであんなに盛り上がることはもうないんだろうな。。

消費の話に戻すと、特に外の店で飲んだりせず、ファッションに興味も無く、車なんかも免許にすら興味が無く、本を読んでゲームをして、たまに知人とダラダラ家飲みなどして過ごすような生活で満足していた。
その時も一人でいる時間が圧倒的に多かったし、そのほうが落ち着いて過ごせた記憶がある。

そういえば、当時から大人数で過ごすと会話のペースやタイミングがつかめずに隅っこのほうにいてニコニコしてなんとかやり過ごそうと気疲れしていたような気がする。
4人くらいまでなら大丈夫なんだけど、それ以上になると頭のCPUが追いつかない感じだった。

一人暮らしをはじめたことで、わりと人としゃべらない生活というのに慣れていった時期だとと思う。

当時を少し思い出すと、ちょうど情報系の学科に入ったのでインターネットが出始めだったのもあってテレホーダイで夜更かしして、授業に遅れたり、電話代が高額になって食費を節約したりしたものだ。
あとはコツコツ節約してパソコンのグラフィックカードやメモリなんかのパーツを買ったりしてパソコンの自作と節約を両立して楽しんでいた。

その頃からインターネットとの付き合いはあるのだけど、ネットで知り合った人に会うのはごく最近になってからだなと思う。
ものすごく田舎の学校だったので、知り合っても東京や大阪の人が多くてとても会える距離ではなかったというのもあるかな。
そういう経験もあって地方で孤立すると、なかなか抜け出せないという感覚がある。

インターネットでやることといえば、ジオシティーの個人サイトを眺めていたり(作ったりもした)、YAHOOのゲームやオンラインマージャンなんかで遊んでいたことを思い出す、あとファミコンがパソコン上で動くエミュレーターというのをひたすら探したりもした。
ICQとかいうカッコーって音が鳴るメッセンジャーなんかも使っていた。
今はアカウントがどこにいったのやらわからなくなっている。

お金の話に戻ると、アルバイトをしていた知人が100万近く貯めて車を買ったりしているのを見て、稼ぐんだなあという気持ちと、100万勿体ねえ、ガソリン代とか高いなという気持ちで、車でちょっと遠くに行くだけのためになぜそんなお金を浪費できるんだろうなという感覚はあったものだ。

これらを振り返ると、セミリタイア生活の金銭感覚は学生時代に確立したものだったのかもしれない。

社会人になって帰りがけに外食したり、ちょっと高めの服を買うようになったり、お店で飲むようになって少し贅沢をしたけれど、セミリタイアを意識して節約をするようになると徐々に学生時代の原点に回帰していったように思う。
お金をかけても満足度が余り変わらないものが多くあることが理解できたのは、消費をしたことのメリットかもしれない。
コストパフォーマンス鑑定力のレベルが経験値を積んで上がった!みたいなものだろう。
コスパの悪い消費をどんどん削ると、貧乏なりに楽しんでいた学生時代の消費スタイルに戻るんだと思う。

そして時間コスパの悪いストレスフルな社会人生活が嫌になって、学生当時の割と時間的にはゆとりのあった生活に戻りたいという無意識が影響してセミリタイアに向けて行動してしまったんだろうか。

セミリタイアしている今の生活でも実家に帰らず一人暮らしを続ける理由ってなんだろうかと考えると、今の生活は学生時代の生活に近いから、なんとなくそういう気持ちがあったのかもしれないなと思えてくる。

学生の頃は先々の不安や人間関係の悩みや留年しないように単位を取るのにいろいろ一杯一杯でそんなに楽しんでいた感じもないから、今の方が日々を楽しんでいるとは思う。
留年せずに卒業できたけど、今でもたまに単位を取りこぼす夢を見ることがあるほど単位取りこぼしは恐怖のネタになっている。

お金を稼いでなんとしても手に入れたいというものがなければ、時間を大量投入してまで稼がないで満足度を高める方向(=セミリタイア)に行くのは自分にとっては自然な成り行きだったのかもしれない。

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『貧乏だけど時間のあった学生時代に戻りたかったのかもしれない。』へのコメント

  1. 名前:招き猫の右手 投稿日:2017/05/23(火) at 00:41:47 ID:4f6ccc038 返信

    僕も以前よく単位を落とすとかの夢を見てました。
    だから気楽なようでいて、それなりにプレッシャーはあったんでしょう。
    それに数年後には社畜労働生活のスタートが待ってるわけですから、心の底からの解放感は無かったような。
    その点、今は最高に楽しめてますね。体力は学生時代より少し落ちたものの、やろうと思えばなんでもできて、人生のオマケを気楽に楽しんでいる感じです。
    学生時代の金銭感覚+さらにお気楽な状況がセットになったようなもので、今が今までで一番楽しい時期だと思いますね。

    • 名前:namake_taio 投稿日:2017/05/23(火) at 16:32:14 ID:f7f916a1a 返信

      招き猫の右手 さん

      学生って気楽ななかでも会社員生活になる不安ってのはありましたね。
      若いうちのリタイアは、リスクはあるけど本人のやる気の向くまま何でもできるってのが大きいですね。
      働きに出るとしても、たいして稼がなくていい家計状態を作れているから気楽でしょうし。

  2. 名前:TAKA 投稿日:2017/05/23(火) at 00:41:50 ID:402da8232 返信

    自分も高校は情報処理科でした。ジオシティー、エミュレータなど懐かしすぎる単語でついついまた書き込みをさせていただきました。
    当時魔法のあいらんどなんて携帯向けのHP作成サービでかなりの人に出会いましたねえ。今でも付き合ってる人は極一部ですが。いや懐かしい。

    • 名前:namake_taio 投稿日:2017/05/23(火) at 16:42:39 ID:f7f916a1a 返信

      TAKA さん

      おお、情報系の人でしたか。
      当時のジオシティーの何でもありな混沌とした感じが好きでした。
      携帯向けのHPって今や消えつつありますが、面白い世界だったんでしょうね。
      今はネットに絡んだつながりってfacebookとかlineとか知っているコミュニティに閉じていく方向に向かっている感じがしますね。なんとなく。

  3. 名前:クラビ 投稿日:2017/05/23(火) at 08:23:46 ID:26a8d478c 返信

    自分も単位を取りこぼして卒業できない夢を未だに見ます。自分の場合は留年の恐怖ではなく、実際に留年したわけですが。1回やれば2回目も同じとはならず、2回目の留年の恐怖がよりいっそう大きくなりました。

    • 名前:namake_taio 投稿日:2017/05/23(火) at 16:51:44 ID:f7f916a1a 返信

      クラビ さん

      単位取りこぼしのトラウマ仲間ですね。
      私は留年は避けられましたが、情報科なのに電気科とか化学科といった他学科の授業を受けまくってギリギリ卒業しました。
      2回留年となると親との関係も含めて、中退が視野に入ってきて相当なストレスですね。
      もう、そういう試験とか早起きといった緊張とは無縁なのがリタイア生活のいいところです(笑

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