私の職場環境が特殊だったのかもしれませんが、
今振り返るとそう思います。
・時間貧乏だった
朝起きて、都心まで電車に往復で1時間~2時間乗って、
残業も平均1,2時間はある。
そういう生活をしていると、自由時間は
電車の中と帰宅後に食事作ったあとに1,2時間あるだけで、
睡眠も8時間欲しいところを6時間に削ったりして一日が終わる。
土曜は昼まで寝て、昼から一人暮らしの家事をこなしたり
必要な買出しをしたりで、遊びに行く元気もない。
最悪の場合は休日出勤し、日曜に家事をこなす。
日曜、自由時間を満喫しても、サザエさんタイムで欝にもどる。
来週もまた、これを続けるの?という感じ。
・虚弱人と普通人の狭間?に悩む
ハードな仕事でも平日夜に飲みに行ったり、
土日に遠出したりするアクティブな人達は回りにいましたね。
虚弱な人間にはちょっと理解できないですね。
無理に付き合いで飲みに行っても、
次の日の平日起きられないわけです。
こんな生活をいつまで続けるんだろうと、
就職してから2、3年時点で感じつつも、
辞めたら路頭に迷うだけなので嫌々に仕事を続けていました。
家庭をもって「イエスマン」になって、
有給も使わずサビ残を積極的にして、
遠い自宅から通い馬車馬のように働く同僚を見ても、
自分も家庭を持ってみたいとはぜんぜん思いませんでしたね。
恋愛感情、愛情でそこまで突っ走れるほど情熱的ではないのです。
家庭を持ったばっかりに「40年近く会社員生活を続ける」というのはしんどいです。
35年ローンで家やマンションを買うというのは
真似できない覚悟だと思います。
- 家庭を維持して、子供も育て、
- 定年まで働き
- 退職金と年金で定年後の生活が悠々自適な生活を得る
というありがちなレールを走る事に関して、
私にとっては地獄にしか見えないのです。
根っこが虚弱なので、定年まで生きている確信が
全然持てないように感じたからですね。
働きながら充実した生活と感じられる人はたぶんいるんでしょう。
しかし、働くことが苦痛でしかない人間には
60歳から自由を手に入れられるだけのために
定年まで働くというのはジョークみたいな絶望的な条件です。
・時間の有限感に対する悩みが強くなっていった
仕事に追われる生活で、
1日、1週間、1年があっという間に過ぎて、
人生の残り時間が減っていく恐怖が日に日に強くなっていきました。
いつまでこんな生活を続けるんだろう?
こんな生活を続けることに意味はあるのか?
そんなことを考え、打開策を検討しつつも、仕事をしていました。
結局、資産運用の本を読み勉強し、株式投資を始めてみた結果、
節約と資産運用の配当と軽いバイトで生活するのが
自分の考えには合っているだろうということが結論となり、今に至るわけです。
ま、激務で体調を崩したのが
上記結論に至った原因として一番大きいですが。
今は会社員時代に感じた”いつまでこんな生活を”という焦燥感はなくなりました。
お金はどうする?は相変わらずありますが、
収入源は試行錯誤していくしかないので、
不安感はさほど感じていません。
会社員生活に戻るとしても”種銭を稼ぐために一時的に”と割り切って働くと思います。