労働、人の影響というストレスから離れて安定してきたかも。

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先月は労働を開始して辞めたりで、変化やストレス、気付きがあってブログをやたら更新していたものだが、今月は対外的には動きがない生活なので特に書こうという気が起きない。

ある意味安定していると言えるし、自分にはこういう生活が向いているのかもしれない。

ツイッターの方もほとんどほったらかしだ。

結局、他人に影響を与えたいという普通の人が持っている気持ちに、
自分のコンディションが悪いと必要以上に過敏に反応する性格なので向いていないのだと思う。

性格傾向としてHSPやスキゾイドというのが当てはまりそうだ。

でも、その性格傾向を掲げて生きたところでさほど生きやすくなるわけでもないから、
精神科に行くとか、それをアピールして同士を募るみたいのも面倒くさく思える。

自分は小さい頃から一人で過ごす(または兄弟や気の合う友人と二人で過ごす)傾向が強かった。

家族で和気あいあいみたいなのは家族全員が苦手だったように思う。

だから一人か二人の閉じた人間関係に走りがちだ。

なんか他の人から見ると何を考えてるのかわからないと言われるんだけど、自分から見ると他人は認められたい支配したいみたいな気持ちが強い人(≒外の世界に対する期待値が高い)が多くて別の生き物を見ているような苦手意識がある。

よく幸福論とかビジネス書は人間関係の良さが人生において大事と説くし、
それが統計的に幸せ度合いや寿命等に数値化されがちだから気にしてはみるのだけど、自分は少数派という自覚があるのに多数派にとっての正解を気にし過ぎて、結局疲れてしまっている気がする。

苦手だと感じているのに幸せを求めるために頑張るというのは喜劇的だと言える。

その違和感をなんとかしようと、ツイッターは似た感じの人(と勝手に思い込んでる)以外はリアルタイムではあまり見ないようにしたら大分楽になった。

快適なので、このままの距離感でやっていこうと思う。

フォローしている人は何かしらの魅力があるからしているのだけど、リアルタイムで感情を受け止めるのは身が持たないのだから仕方ない。

そんな苦行をするためにSNSを始めたわけじゃないんだから変に真面目にやることなんてないんだけど。

この手の記事は何度か書いた気がするのに自分は学習してないなと思う。

ほどほどの距離でやるなら良い面もあるんだし。

まあ、そんなこんなで今の所は低ストレス状態に落ち着きつつある。

特に事件がない感じで日々が過ぎていく現在はそんなに悪くないと思う。

独善的や攻撃的にならない程度に、ひっそり社会と良い関係を維持して生きていきたいとは思うけど。

直感的に無理なものを社会が考える普通の枠組みのために頑張る必要はないのだと思う。

自分の人生は一度きりだし、明日死ぬかもしれないのに。

まあ、60歳くらいまではあまり死なないから刹那主義すぎてもどうかとは思うけど。

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