男女の交際比率低下について。もう面倒な役は引き受けたくない。そんな人が増えているのでは?

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数日前、男女の非婚化や交際率の低さについて目にした。

非婚については平均年収の低下や先行き不透明である雇用情勢、都市の住宅環境の悪さなどがよくあげられるが、それもあるのでしょう。

しかし、交際している割合が低いのはちょっと意外でした。

・出会いの機会は多そうだけれど・・・

それは、若年層の時からSNSや携帯電話の発達でコミュニケーション手段が増え、マッチング系のサービス(お見合いパーティーや出会いアプリ)もあり、男女間の出会いの機会ってずいぶん増えてるんじゃないかと思っていたので結構意外ですね。

就活と同じで出会いも婚カツ的な未来の子孫とか老後から逆算した、条件闘争の時代に入っているのでしょうか?

確かに女性は昔に比べて出会いの機会は多いのではなかろうかと思うのですが、どうなんでしょうね。
女性からすると会社や学校の友人つながりの、安心マークの付いた男性が必要なのは古今東西変わらないとは思いますけどね。

それとも、ここのところの増税ラッシュで若年層の賃金が低すぎて、合コンとかそういう飲み会に行くお金にも困って出会いどころではなくなっているのでしょうか。

・もうこれ以上、面倒な役は引き受けたくないという人が増えている可能性はないか?

個人的には役割を演じるのがしんどいなあという人が増えている部分があるのではないかと、思うのだけど。

会社員では「よくできる社員」を何十年も演じ、家では「よい夫、妻」を演じ、「よい父、母」を演じ、そういうのを何十年も続ける前提で制度ができちゃってるから、あまり途中でやめるってのも難しくなっていたりする。
これは政治の失敗部分もあるよね。

自分の父親・母親を何十年も見て、自分が結婚しててその役を自分もやりたいかと問われて、YESと胸を張って言える人はどのくらいいるだろう。

私が思うに定年まで働くとか、女性と暮らして成人まで子育てとかそんなたいそうな役なんて背負いたくないなあと思ってしまいます。
だって、それを全うするには労働が何十年も必要なわけで。

世の中の大半の人は、この会社員役、父親役、母親役を与えられると安心して、役を演じることが人生かのように過ごし、人生の終わりまで突っ走ってしまうという事がこれまで大半だったのでしょうけど、それを見た子供世代はそうは思っていないんじゃないかなと思うのです。
(実際に家庭を持ち、妻子に愛情を注ぐことで気持ちが充実するであろう点は否定しません。幸せホルモンがいっぱい出るのは科学的にも証明されていますし、当人達も幸せそうです。)

これは、例えば末っ子ができてしまうと、じいちゃん、ばあちゃん、とおちゃん、かあちゃん、にいちゃん、みたいに役割で読んでしまう役割主導型社会だから、無意識的に個が押しつぶされてしまっているので、そういう役に入りたくないと思う部分もあるんじゃないかと思うわけです。

ここ50年くらいでできた神話として、会社に長く勤めれば豊かになれる幻想、家庭を築けば幸せになれる幻想、今だってうまくいっているケースのほうが多いかもしれないけど、うまくいかないケースもそれなりにあって盲信できるほどの事ではなくなっているのでしょう。

役割主導型社会なので、セミリタイアをして役を与えられなくなることにおびえる人をちらほらみかけますが、社会がそうなんだから、そういう不安が出てくるのは仕方ないですよね。

・役割主導型社会と「知らない人」の行き場所として現れた匿名コミュニティー

日本はあまり宗教とかで横のつながりを作らないから、せいぜい、家族や親戚、学校や会社の付き合いが人間関係メインなのではなかろうか。
田舎だとこれに近所が入ってくるのでしょうけど、皆それを嫌がって現代では都市に流れてしまってますよね。

で、これらの付き合いから外れた人は、知らない人として、かなり距離を置かれることになります。

アメリカなんかだと本をいろいろ読みかじった感じでは、カフェやバス停で隣の人と世間話をしたりすることはあるそうですが、日本でこれをやると怪しまれたり警戒されたりして、内と外の仕切りが結構ある社会だとおもうのですよね。

例外として私は高齢のおばちゃんからはよく話しかけられますが、彼女たちは日本の枠からはみ出した自由な思想を獲得したんでしょうね(笑)

役を与えられるのが嫌だけど、この役を拒否したとたん、コミュニティから外されて、誰から見ても「外」になってしまうと、孤独になってしまいます。

そこで、内と外の境界が厳しい日本社会で発達したのが匿名コミュニティーなんだと思います。

例を出すと、2ちゃんねるやブログ、ツイッターなどが匿名メディアとしては有名だと思います。

匿名メディア内では外の人にもかかわらず、みんなおっかなびっくりながらもコミュニケーションをとっているように思います。

これって「内」にこもりがちな日本人としては結構、画期的なことではないかと思うんですよね。

2ちゃんなんて、10年以上前から見ていますが、当時はPC好きなオタク層しか見ていなかったように思いますが、今は「2ちゃんまとめサイト」なんかで、朝とか昼間にサラリーマンが電車やランチタイム中に暇つぶしに見ているケースが多いのではないでしょうか。

アクセスが多いのでまとめ用のアプリが多くあったり、まとめブログは結構稼げるみたいで専業でまとめる人が出るほどの賑わいのようです。

このブログなんかも昼と夕方のアクセスが多いので、休憩時間にブログを見ている人も結構多いと思います。

この変化って、内輪同士でこもっていたコミュニケーションが外に解放されて、いろんな意見が出て面白いということが社会に受け入れられるようになったのですから、良いことだとおもうのですよ。

悪い面として、内でのコミュニケーションを外に持ち込んで、俺はこんなに偉いんだぞとか、それは格が落ちるといった感じで、上に乗りたがる輩がいたり、匿名をいいことに普段は見せないような誹謗中傷的なコミュニケーションをとる人間がいたり、コミュニケーションにローカルルールを持ち込んだり(ツイッターでも相互フォローとか、挨拶しろとかそういうのがあるみたいですが知らんがなw)で、まだ手探りな感じではあります。

役を与えられなかった人の避難所というか寄合所として、ブログやツイッターや2chなどの掲示板が出来たのは孤独な人には大きな変化だと思います。

そこからオフ会なんかでリアルのつながりができると、もっと人は自由になれるんじゃないかなと思います。

仕事や学校つながりの閉じたコミュニティーじゃないから、取捨選択する自由もあるわけですし。

認められやすい役(会社員、夫、妻、父、母)を与えられて、コミュニティに属することでしか居場所がなかった社会から、役が与えられなくても、趣味なり意見が近い人間の匿名コミュニティーに属する(と思い込む)ことが可能な社会になったわけです。

なので、昔より認められやすい役になることへの、脅迫感というか圧力は緩くなったんじゃないかなと思うんですよ。

ブログ村のセミリタイア村の住人になると居心地が良いのはたぶんこの辺なんだろうな。

・最後に

さて、役割と孤独についてと日本社会の役割依存とSNSが人の役割依存から少し自由にした点についてまとまりなく書いてきました。

果たして、付き合っている男女比率の低下が私の推測に関連しているのでしょうか?

少しは関係しているんじゃないかとか、思ってくれたら幸いです。

ところで、男女の付き合いについてみんなガチガチに考えすぎなんじゃないかなーと思うんですよね。

出会いなんて異性であることをあまり意識しないでたまに飲みに行ったり、お茶やランチに出かけたりするくらいの友達で、よぼど気が合えばお付き合いしたり、結婚したりすればいいんじゃないかな。
収入とかどうやって暮らすかはそれから考えてもいいんじゃないかと思います。

結婚も子育て~老後まで考えるとめんどくさいから、嫌になったら別れて、子供がいたら養育はうまいこと分担すればいい話だと思うのですよ。
専業主婦の家庭だと年金の分割とか再就職とかめんどくさいけど、共働き前提ならその辺も考えなくてよいわけだし。
産休取れなかったり再就職が大変という雇用環境はこれから変わっていくだろうし。
離婚が増えている以上、離婚後の家庭の子供に対する支援も充実していくんじゃないかな。

子供やお金のために貴重な人生を何十年も嫌いな人間と暮らし続けるだなんておかしいとしか思えません。

まとまりがないですが、書いちゃったので公開しますw(口調がぐちゃぐちゃだけど直すのめんどくさくなっちゃった)

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