条件付きの存在価値

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金を稼ぐから好き、美人だから好き、自分の思い通りになるから好き。

自分を愛してくれるから好き。

人の存在とは上に書いたような条件付きではなく貴重なものだと思う。

宇宙が始まってから今までもこれからも、短い時間しか存在しえない個性そのものが人の価値なのだと思っている。

しかし、この考えは感情の面から考えるとなかなか難しい。

原始の時代から生き延びてきた生存本能はいつも冷徹な合理的判断を自然な感情に偽装して組み込みがちだからだ。

だけど、経済や原始的な感情だけで判断する癖がついてしまうと、動物や昆虫などとさして変わりがない生き物のように思えてしまい息苦しい(かれらは人間が思う以上に生存戦略のために経済至上主義なのです、ナショジオチャネルとかそれ関係の本を読んてみたら面白い)。

最近は赤の他人の存在(および幸福)について侵害しないで尊重することができるかどうかが人間性を見る計りになる気がしている。

好き嫌いの感情や利害関係は置いておいて、その人の存在を尊重できるかという話です。

互いの存在を軽く見て、論理の整理をせず言いっぱなしで言い争いになるケースはツイッターや匿名掲示板などを見ていると多くて疲れてくる。

この点は私自身もツイッターやブログの言動で無意識で加害者側でいるときもあると思う。

この辺の息苦しさについては、以前からツイートしてきたのでついでに載せときます。

人にレッテルを張り付けて敵視して人格を否定し自分を正義にしてしまうと、残酷になれるのが人間です。

それの最悪のケースは殺人であったり、戦争であったりします。

スポーツや選挙程度でガス抜きできていればよいのでしょうが、ネットの世界を見るようになって、皆が感じる怒りやうっ憤が表に見えるようになったこともあって少し怖いなと感じることが多いです。

しょうもないことで疲れてしまうタイプなので、引きこもって生活していられることが救いです。

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