会社を辞める時に襲ってきた隠れていた強迫観念

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私は数年前、新卒で入って10年以上務めた会社を心身ともにまいって辞めた。

会社を辞める決断前後まで無自覚ではあったが、職場復帰することに対する”ねばならぬ”が心の底から這い出してきて、それから湧き出てくる恐怖を押さえつけるのに頭がおかしくなりそうだった。

ねばならぬ1
・60才程度まで働いて(転職はOK)、十分な資産をつくり、安定した年金をもらう。

ねばならぬ2
・年収600万位稼げるくらい働いて、結婚して、二人くらい育てる。

頭の計算上は”結婚願望なし”、”40代半ばで資産をほどほど確保してリタイア”というぼんやりとしたお気楽計画をもとに働いていたつもりだったのだが、会社を本当にやめるかもしれないという段階になってから新卒で入ったときからあったであろう強迫観念みたいなものが急に出てきて驚いた。

たぶん、つらくても仕事を続けてこれたのはそれに支配されていたせいもあるのかもしれない。

会社を辞めたら人生終わりみたいな。つらい朝の体を強迫観念でなんとか引っ張り上げていたのかもしれない。

最終的には、どこかから借りてきたようなこの強迫観念とはお別れすることに決めて、いったん会社を辞めるという決断をしました。

この借り物の人生を演じるかのような強迫観念は不要だと思ったのです。

そうしたくなったらやる。

そういう仕事を見つけたら、そう思える相手が見つかったら。

その結果として長く働いたり、子供ができたりというのはいい。

そういうスタンスで、良いのではないだろうか。

”国のため”とか嘘っぽいことを言う奴がいるが、根っこを探れば彼らは”自分のため”の結果そういう立場になったから言っているので気にしても仕方がない。

年功序列で定年まで勤めた人、子供を育てている家庭。

よく頑張っているとは思いますが、特に尊敬したいとも思いません。

国の社会保障システムがねずみ講的なものだから、マスコミにうまく煽られて、他人を断罪する快楽に浸れる良い位置にいるから、システムへの理解もなく言いたい放題しているだけではないですか?

やりたいことをやる。

やりたいことなら理想を語らなくても、夢中になってやるだろう。

自分に強迫観念を植え付けて、心身が病むまで”頑張る”必要などない。

自分の中に不自由な強迫観念が紛れ込んでいないか、たまにはじっくり考えてみるのもよいのではないだろうか。

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